2012年05月10日

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)

下田市内のジオサイトに指定されている弁天島にちょっくら巡検に行ってきました。場所は下田市柿崎で穏やかな下田湾内を一望できる場所です。車だと国道135号を下田聚楽ホテルから須崎方面に向かい、民宿呑三の先をすぐ右に入ったところです。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ 弁天島に着くとすぐ縞々の露頭が目に飛び込んできます。最近設置されたジオパークの解説板弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)が立っています。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ これが斜交層理。これを調べることによって当時の水流の方向や強さ、すなわち当時の環境がわかります。ここではたまたま、地殻変動による地層の傾斜と当時の流れの方向(古流行)が似た方向で、かつ傾斜が緩やかだからおおむね写真に記入した流れの方向だったはず。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
吉田松陰は、金子重輔と共にこの弁天島のほこらに身を隠して、西暦1854年4月24日の夜、米艦ポーハタン号に密航を試みた。その勇姿を称え石碑が立っている。弁天島は現在陸続きになっています。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
下田龍神宮(鷺島神社)は、古くから氏子たちには「ささげ弁天」の名で呼ばれている。弁天島の由来はここにあるようだ。小さい神社だが、厳かな雰囲気をかもし出している。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ 吉田松陰の石碑を回りこむと神社があり、その奥にはほこらがある。ここに松陰が隠れたのかな?そのときは地層見る余裕は無かったでしょうね。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ 地層は西北西方向に傾斜している。島を先のほうに進むとレストランがある。ここの背後の露頭は、斜交層理が見られない。なぜって、地層の傾斜方向に沿って(走向方向に垂直に)見てるからなのだ。同じ地層でも見る角度によって見え方が違うことを覚えておこう!

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ 層理面に添って密集度の高い生痕化石が見られる。Thalassinoides sp.かな?。エビに似た甲殻類(スナモグリ類?等)の棲み跡。浅い海に棲んでいる生物のものです。このような事実からこの地層「白浜層群」は、比較的浅い海で堆積したものとされています。そういえば昔、同じく中新統の房総半島の三浦層群中の一部にもこいつがあったなぁー。層相も似ているから同じような環境なんだろうな。こいつも、地層を見る角度で見えたり見えなかったりする。たまたま層理面がうまく出ていたのでよくわかる。

弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
↑ 地層を構成している堆積物は、貝殻片が目立つ石灰質砂岩。完全な形を残している貝化石などは見られない。もともとの生息域から水流等で運ばれた貝化石(異地性)でしょう。

余談ですが、弁天島にあるイタリアンレストランは、以前、市内の役所近くにあったお店が昨年移転、名前を変えてオープンしたものだということを今回たまたま知りました。移転前は何度か行ったことがありますが、たいへん美味しかった記憶があります。今度はランチでワインを飲みながら地層と話してみたいなー。吉田松陰には申し訳ないですが…(;^_^A



同じカテゴリー(ジオな気分)の記事画像
元旦の初日の出は南伊豆弓ヶ浜で!
南伊豆で初日の出
ユウスゲ公園に「愛の鐘」のモニュメント完成
南伊豆の初日の出&夕日スポット
タライ岬遊歩道を歩いてきた♪~南伊豆町ジオパーク勉強会~
地震学に関する本の紹介
同じカテゴリー(ジオな気分)の記事
 元旦の初日の出は南伊豆弓ヶ浜で! (2017-12-21 23:54)
 南伊豆で初日の出 (2014-12-12 21:14)
 ユウスゲ公園に「愛の鐘」のモニュメント完成 (2014-04-03 22:28)
 南伊豆の初日の出&夕日スポット (2013-12-23 20:38)
 タライ岬遊歩道を歩いてきた♪~南伊豆町ジオパーク勉強会~ (2013-12-17 17:58)
 地震学に関する本の紹介 (2013-08-16 17:42)

Posted by さざえさん at 00:15│Comments(2)ジオな気分
この記事へのコメント
ジオな気分楽しく拝見してます。
わかりやすい解説も嬉しいです。
盥岬と田牛の間の下記露頭断層の見解、解説も是非お願いいたします。

http://www.panoramio.com/photo/51623315
Posted by 佐藤常文 at 2012年05月12日 16:44
ブログ見ていただきありがとうございます。盥岬と田牛の間にこんなシャープ露頭があるんですね。この露頭の面が西北西-東南東だったら蛇石付近から伸びている上賀茂断層の露頭かもしれませんね。だとしたら活断層ということになります。江戸時代の1729年にM7程度の記録があるようです。今度写真をたよりに行ってみます。なにぶん素人な者で、あまりたいしたことはわかりません。すいません。
Posted by さざえさん at 2012年05月13日 06:45
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
弁天島の斜交層理と生痕化石(下田市柿崎)
    コメント(2)